2017年6月23日金曜日

首にボールペン

首に名前を刻んだボールペンを突き立てて墓標にしてやろう。机に突っ伏した小高い頚椎の丘。倒れないようにより深く突き立てねばならない。

そう考えながら、僕は上長の話を聞いていた。(だいたいにおいて上司という表現を好かない、それはよりサラリーマン、自らが奴隷だという実感が伴うからだ)
そういうわけで私は眼を飛ばして殺意を伝えていたらしい。

「なにメンチ切っとんねん」という関西弁、不愉快な言葉を聞いてこの大阪という悪性腫瘍の象徴であるこいつをまずは懲らしめる必要があるのであり、私は仕事を失おうとそれが目の前の人間を潰すより重要なのかというつもりでボールペンを固く握っては、突き刺すことを想像した。何も失うものがない。いざという時には俺はこいつを殺す。

怒りのまま黙らされ、怒りのまま人を黙らせるという暴力の非言語的な経験に強く影響を受けているのだろう。
つくづく私は卑しい人間だと思う。自らの暴力性さえも制御できない動物のような人間だと思う。実際、私は蔑まれる人間に違いなく失望される人間に違いなく、そういう性質を濃く持った人間なのであってそういうレッテル貼りを自らしなければとても現実を受け入れられないなあと、そう思いながら、私は父親と同じように反逆して結局は自らの首を締めるようなことをしていると面白おかしくなってこんなときに血は争えないというのだろうね、と自嘲気味になり身体の力はぐったりと抜け、目だけは未だに自らの眼球を地に落とそうとするかのように血走っていた。

結局、眼を背けたのは上長のほうだった。動物のような世界では少なくとも私が勝ったのだというくだらない自信だけがあった。

2017年6月4日日曜日

銀の森

全く景色のない、飽き飽きした心情世界。
だから私は森を描く、と思う。
ああ、それで目の前に森があるんだと思う。
私の目の前には森が広がっている。視界を遮らないような形で、白い細かな凹凸のある壁が緑に塗りたくられる。
それも一辺倒の塗り方ではない、淡い色であったり濃い色であったり、その凹凸がいかにも森を表現しているような気がされる。私はこの視点から世界を作り上げている。
神の視座をもって何事かを物語っている。
銀色のしわくちゃにした紙、それは私の食べかけの板チョコの包み紙であるが、それというのが森の中にある、極めて人工的な工場のような気がしている。
私の視界にたえずぼんやりと映る、銀色の煙。
そいつは煙をたかだかと掲げている。

2017年2月6日月曜日

月曜日の陽の光

月曜日の穏やかな朝である。
私は今日、会社を出て早々に家に戻るつもりでいた。
天気がよいこのような平日のはじまりにはひどく自由になりたい気分であった。
無論、帰れるのであれば帰りたい私には特別のものではなかったが。

さも営業に行くようにして意気揚々として会社を出て私はさっそくネクタイを緩めた。
駅前の雑踏、それは駅に向かうものであったり、駅からどこかへ向かうものであったり様々であったが会社から家に向かう流れはどこにもなかった。

誰もが活動的に動く時間の中、ひとり自由になるのは心地がよいが妙な焦燥──それは今日すべきことがあったが今でなくてもよいという理解を自らに与え、手懐けるためには何処かで落ち着く時間が必要であった。
そこで私はまず喫茶店にゆくことを考えた。
珈琲とパンと卵、それと新聞。
これをもって焦燥を手懐けようと思っていたが空を見遣り、ふと河の流れが見たいと思ったのである。
考えるべき事柄は諸々あるが、心を空にしたかった。
もしくはただ一切は過ぎゆく、そのことへの納得を自らに与えたかったのかも知れない。

騒々しい車の通り抜ける音に耐えて河に向かう裏道を通った。高架下をくぐり靴の音がやけに反響する階段を降りた。
地面は湿っている、上を多数の人が乗っているであろう電車がガラガラと通った。
一人と多数が交差したこの高架下、私が誰でも、何にでもないことを告げていたような気がする。
そして上がろうとするとき妙に心が踊った。
四面に囲まれた空が私を迎え入れたのである。
その囲まれた空は出口に近づくにつれて視界いっぱいに広がった。

私は土手を靴が汚れないように歩いて大川のほとりに腰を下ろした。
右手に桜ノ宮を見て、左手に天満の橋、真ん中に造幣局がある。
ここ造幣局は桜の名所らしいが今は無数の木の枝が近くの散歩者を寒々しく飾っていた。

河はつとめて穏やかだった。流れを見ているとき、自然と祖父母と両親のこと、私が東京を離れて大阪にいること、これから先どうなってゆくのか──ということに目の前の小舟がたゆたうようにして取り留めもなく思いを馳せた。

河の流れを見ているとき、私は誰でもなかった。身なりこそスーツを纏いコートを羽織っているが、次から次へと移ろいゆく思考をもつ私は決して誰でもなかった。
通り沿いの散歩をしている人たちには私がくたびれた会社員に見えたかもしれない。月曜日午前10時をさして私は紛れもなく浮いた存在であった。

ふと私は靴の傷をみとめた。
この頃、革靴を新年にあわせて新調してからというもの、傷に神経質になっている。
黒地に白い一筋が私のあやふやな思考にも区切りをつけたようである。
月曜日の陽の光に洗われて私は帰途に着いたのだった。